【米大統領選】民主党の指名争い尻目に共和党マケイン候補、テロとの戦いで国民の結束訴え―イラクには国家安全保障上の死活的な権益

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 「クリントンは化け物」―。米大統領選民主党候補指名争いで史上稀にみる熾烈な戦いを展開しているクリントン候補とオバマ候補。両候補の仁義なきデスマッチは4日、大票田のテキサス州予備選でクリントン候補が勝利。この「ミニスーパーチューズデー」で同候補は、ロードアイランド、オハイオ、テキサスの3州を制した。同候補は、オハイオ、テキサスのうちの1州でも落とせば撤退せざるを得ない瀬戸際まで追い込まれていたが、これで一息ついた形。で、オバマ陣営幹部の口から思わず出た言葉が「化け物」発言。

 発言したのはオバマ候補の外交政策顧問を務めていたサマンサ・パワー・ハーバード大教授。人権問題の専門家で大量虐殺に関する著書でピュリツァー賞を受賞。7日付の英紙スコッツマン(電子版)などによると、パワー氏は訪問先の英国で同紙に「私たちはオハイオでへまをした」と述べ「彼女は怪物だ。なりふり構わずなんでもやる」と指摘した。

 クリントン陣営は「卑劣な政略」と批判。オバマ陣営も発言を非難し、パワー氏は声明で「取り返しのつかない発言をした。クリントン氏に深く謝罪する」と失言を認め、7日に顧問を辞任した。12連勝という快進撃を続け、クリントン候補追い落とし間近と観測する向きもあったオバマ候補だっただけに、クリントン候補の激しい巻き返しに、思わず陣営幹部なりふり構わず反撃に出た末にクビが飛んだというところ。

 民主党側では、8日にワイオミング州で党員集会が行われオバマ候補がクリントン候補に勝利。4州で予備選挙が実施された4日の「ミニスーパーチューズデー」では、クリントン候補が大票田のオハイオ、テキサス両州を制している。民主党の候補者選びは今後、3月11日のミシシッピ州予備選、4月22日のペンシルベニア州予備選に注目が集まる。

 己の理想とする内外諸政策に絡む論戦などはとうの昔にどこかにいってしまい、もはや泥沼の中傷合戦という感がする民主党候補指名争いだが、共和党側は、マケイン候補が4日の「ミニスーパーチューズデー」で、、バーモント、オハイオ、テキサス、ロードアイランドの4州予備選すべてに勝利、候補指名が確定した。

 マケイン候補はこの日、同党候補指名獲得に十分な代議員数を獲得したとし、11月の本選に向け、大統領候補としての自身の資質について訴えかける意欲を表明、「われわれはイラクに派兵しており、われわれ最大の国家安全保障上の権益がイラクにはある」と断言して保守派の結束を訴えた。8年におよぶホワイトハウスの主から身を引くブッシュ大統領も、マケイン候補支持を表明。イラク戦争・テロとの戦いを「死活的に重要な米国の権益」として戦い抜く共和党側の立場を改めて見せ付けた。

 マケイン候補は、民主党側との違いを明白に国民に訴えることで、テロとの戦い遂行という米国的価値観・生活様式を守り抜こうという意志を強く示しているのは疑いようもない。同候補はベトナム戦争での捕虜生活にみごとに耐えたヒーロー。上下両院議員としての政治実績も多く、知名度は高かった。2000年の大統領予備選では現大統領のブッシュ氏と一時は互角以上に戦った。だが今回の選挙戦では、人気が上がらなかったのも事実。

 その主因はマケイン候補がイラクのフセイン政権打倒の軍事行動を強く支持したことだとされた。イラクの軍事情勢の悪化はそのまま同候補不支持の広がりにつながった。ところがイラクへの米軍増派で2007年秋からイラク情勢が好転すると、同候補の人気も比例して上昇。同候補は増派の主唱者でもある。

 今回の大統領選では当初、民主党側がクリントン候補の圧勝に終わるかの様相をみせた。一方、共和党側は多数の候補が乱立し、争いの決着が長引くかにみえた。ところが現実は逆となった。マケイン候補のように同じ党の競合候補たちと激闘の傷さえ残さず、本選挙の8カ月も前に指名を確実にした例は珍しい。

 マケイン候補は1936年8月生まれで現在71歳。祖父と父は海軍大将という軍人一家の家庭だ。マケイン候補も海軍兵学校を卒業して1958年に海軍に入隊。62年のキューバ危機では、空母エンタープライズ乗組のパイロットとして海上封鎖に参加。また、67年春からは北ベトナム爆撃に参加。22回目の出撃でハノイの発電所を爆撃中に地上からのミサイルに被弾。ハノイ市北部のチュバック湖に墜落して、北ベトナム軍の捕虜となった。

 当時、マケイン候補は海軍少佐、撃墜された時、両腕と足を骨折。駆けつけた群衆が機体から引きずり出した。重態だったが、北ベトナム側は病院ではなく、刑務所に収容した。長く生きられないと判断したためとみられている。だが、2日後に待遇が変った。当時、マケインの父親は海軍大将、欧州駐留海軍の総司令官だった。北ベトナム政府はこれを知って政治的に利用しようとしてマケイン少佐を病院に移して治療、捕虜にしたことを公表。

 これに対し、当時のジョンソン米政権は68年7月、父親を太平洋軍総司令官に任命。ベトナム戦域に展開する全米軍の総司令官とした。この直後、北ベトナム政府は獄中のマケイン少佐に対し釈放を提案した。米国は政府高官の子息を特別扱いしていると宣伝する目的だった。同少佐は「捕まった順番に捕虜を釈放するなら応じる」と主張して拒否。その後の厳しい拷問にも拘わらず節を曲げなかった。この厳しい試練の後遺症で、マケイン候補の両腕は今も肩より上に上がらない。

 マケイン候補は4日夜の演説で、「国家への奉仕の責任」を語り、テロ勢力との「長く難しい戦い」を強調した上で、サダム・フセイン政権を倒す決定をなお擁護すると宣言した。そして米国が「自国の致命的に重要な安全保障の利害のためにイラクに介入している」と言明し、民主党候補の米軍無条件撤退論と対比させた。経済政策でも、オバマ候補らの主張を「貿易協定の破棄」とか「米国企業の海外投資の阻止」と評して、対決の構えをみせた。

 米大統領選は、米国最大の国家行事であり一種の国家元首を選ぶ「お祭り」でもある。長く厳しい国民の目にさらされながら、誰がホワイトハウスの新たな主になるのか。少なくとも共和党側は、マケインで一本化した。党内固めも始まった。対する民主党側は、この面からすれば一歩遅れている。民主党重鎮らが危惧するのはこの一転である。

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このページは、J_Ishikawaが2008年3月10日 11:19に書いたブログ記事です。

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