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カイバル峠。アフガンとパキスタンの国境に位置する峠だ。日光のいろは坂を大規模にしたようなものだ。標高は約1070メートル。南アジアと中央ユーラシアを結ぶ戦略的要衝であり、世界にあまたある「文明の交差路」の1つでもある。1935年のハリウッド映画でゲーリー・クーパーの名前を一躍有名にした「ベンガルの槍騎兵」という作品があるが、舞台となっているのがこの峠一帯だとされる。
カイバル峠をベンガルの槍騎兵、要するに英直轄植民地インドに駐留する英軍将兵、インド兵が疾駆したころは、欧州諸列強による帝国主義・植民地主義が華やかなりし時だ。大英帝国は東インド会社を中核にインド亜大陸の植民地化を進め、1877年には遂に英領インド帝国を成立させる。大英帝国の当面の敵は、不凍港を求めて南下するロシア帝国。
今のパキスタン、バングラデシュも版図に入れた英東インド会社、後の英領インド帝国に駐留する英・インド軍は、南下するロシア帝国の先手を打ってアフガンに進出、これを植民地化しようと企む。こうして19世紀半ばから、第1次、第2次、第3次と3回にわたるアフガン戦争が、第1次世界大戦を挟んで英軍とアフガン現地イスラム系部族との間で戦われることになる。そして、第2次アフガン戦争で、アフガンは大英帝国の保護国となるが、1919年の第3次アフガン戦争の結果、アフガンは首長国として完全独立を果たす。
要するにアフガンは19世紀以降、一時期、大英帝国の保護国となっただけで、植民地となったことはないわけだ。急峻な山々に囲まれた石油など天然資源も皆無といっていいこの地域に、実際のところ誰も興味を抱かなかったからだというのが実情だろう。1919年に王国として完全独立して以来、1973年に軍の無血クーデターで王制が打倒され、ダウド大統領が誕生するまで、アフガンは無風状態ともいえる平和な時を過ごす。カイバル峠も、欧州につながるアジアハイウエーの通過点として、広く世界に開かれていた。
が、平和な時は長く続かない。イスラム教に代わり、軍の内部ではとってつけたような共産主義が台頭、旧ソ連の力も借りて1978年にはダウド大統領打倒の軍事クーデター。翌1979年には、旧ソ連軍がアフガンに軍事侵攻する。旧ソ連の傀儡である社会主義政権こそ誕生させたものの、旧ソ連軍は、アフガンの国土をめちゃめちゃにしたのち1989年に何ら成すところなく撤退。あとはイスラム各部族の群雄割拠だ。これは1998年にイスラム原理主義勢力タリバンが全土を掌握するまで続く。
旧ソ連軍軍事侵攻下のアフガンには、アラブ各国から志願兵が送り込まれ、現在の国際テロ組織アルカイダの指導者ビンラディンもその1人だった。2001年9月11日、米同時多発テロ発生。直後、米国はアルカイダが同テロの主犯として、自衛権の発動と自称して他の同盟諸国と一緒にアフガン空爆・地上侵攻を開始。タリバンを政権の座から追い落として、2002年にカルザイ政権を樹立させる。
なるほど、アフガンは19世紀以降、欧州諸列強の植民地と化すことはなかった。が、常に破綻国家であったことは、彼の地が平和な時を含めて常態だったといえる。まさに。「テロとの戦い」の最前線アフガンよどこえ行くだ。
1979年12月24日。旧ソ連軍がアフガンに怒濤のごとく戦車を進めた日だ。遠くデンマークの首都コペンハーゲンでこの報をラジオで聴いたときの衝撃は忘れることはできない。思えばこの年は、世界史の刻む時の音がはっきり聞こえた年だった。年初のイラン・イスラム革命、中越戦争、エジプト・イスラエル平和条約調印。そしてこのソ連軍アフガン侵攻だ。今からちょうど30年前、世界はいまだ冷戦下にあった。
米国は、ニクソン、フォードと続いたベトナム組が倒れ、民主党のカーター大統領がホワイトハウスの主人。が、75年のサイゴン陥落とともに終止符を打った不毛なベトナム戦争の傷跡いまだ消えず。さらに中東の自他共に認めた米国の盟友、パーレビ・イラン王制も瓦解。手が付けられない有様だ。この間隙を突いたかのように、「ソ連は危険にさらされている同盟国を救援する権利を有する」という「ブレジネフ・ドクトリン」が発動された。
では、当のアフガンはどうかというと、今と変わらぬ破綻国家。いや国家とな名ばかりの部族社会だった。73年に王制が倒れて容共主義のアフガン人民民主党が政権を握ったが、ダウド、タラキ、アミンとトップがクーデターで入れ替わっても、自力でイラン革命の余波で勢力を伸ばしていた宗教勢力を鎮圧することができず、結局ソ連軍の介入を要請したアミンを処刑し、東欧に亡命していたカルマルをトップに据えた。
あとは万巻の書物が語る通りである。ブレジネフが、介入に踏み切った背景には、建前としてのブレジネフ・ドクトリンのほか、ソ連邦中央アジア諸国に、イランのようなイスラム革命が波及するのを恐れたからだとも言われる。ともかく、89年のソ連軍完全撤退までの10年間、ベトナムの泥沼に足をとられていた米国を嗤っていたソ連が、アフガンの凍土に足を滑らせるばかり。そして完全撤退から3年後、今度はソ連邦自体が崩壊する。アフガン侵攻の戦費増大がその一因であることは明白だ。
他方の米国はというと、アフガンのイスラム武装勢力にスティンガー携帯ミサイルを供与したことからも分かる通り、イスラム勢力は反ソの先兵。中東アラブ諸国はこぞって志願兵を募り、アフガンに送り込んだ。のちに、アラブ・アフガニーとして知られるようになるこの種の手合いは、アラブ圏においては国内の反政府勢力の中核となり、一部は国際テロ組織アルカイダに流れて、ビンラディンのように成り果てる。
ソ連に激しく敵対し、ビンラディンらイスラム過激派に対しても警鐘を鳴らし続けてきたアフガンのマスード司令官が2001年9月9日暗殺。2日後の9月11日、米同時多発テロ発生。。。
オバマ米政権が対テロ戦争の軸足をイラクから移すと公言しているアフガン。アフガン中央政府の民生向上・治安回復策が奏功するかどうかが焦眉の課題となっているが果たしてどうか。そのアフガンでカルザイ大統領が再選された。同国選管が2日、この11月7日に予定されていた大統領選決選投票中止を発表、カルザイ大統領の再選が決まった。
8月20日に投票の行われたアフガン大統領選で同国選管は9月16日、カルザイ現大統領が54.6%を得票し、決選投票を待たずに当選が決まる過半数を制したと公表。選管によると、有効投票566万2758票のうち、カルザイ氏は309万3256票(得票率54.6%)、2位のアブドラ前外相は157万1581票(同27.8%)、3位のバシャルドスト元計画相は52万627票(同9.2%)。
これに対し、有力対立候補だったアブドラ前外相は、投票で大幅な不正が行われたと抗議、選管も一部これを認めて決選投票を準備中だった。が、アブドラ氏は1日になって、公正な投票を求める自身の要求を満たしていないとしてアフガン中央政府を非難し、決選投票に参加しない意向を表明。結局、決選投票を実施しても候補者がカルザイ氏1人だけで、実施した場合の費用や治安上のリスクに見合わないということから中止に至った。
要するに、灰色どころか限りなく黒に近い不正が行われたことは事実だが、カルザイ、アブドラ両氏とも、何とかメンツを保って矛を収め、これ以上混乱を長引かせて反政府勢力タリバン側を勢い付かせてはならないという思惑が、双方に働いたということだろう。オバマ大統領は早速カルザイ氏に再選の祝意を伝えたが、その中で改めて汚職撲滅の釘を刺さざるを得なかった。
首都カブールでは10月28日、国連のゲストハウスにタリバンの武装分子が侵入、政府軍との間で銃撃戦となり、6人の国連職員が死亡、さらには、大統領宮殿付近のセレナホテルに向けて複数のロケット弾が発射され、宿泊客100人以上が地下に緊急避難する事件も勃発。タリバン側は、もし決選投票が行われれば、必ずこれを妨害すると脅迫していた。
さらに、カルザイ、アブドラ両候補の一騎打ちはさらなる政治的混乱を起こし、国内を一層不安定化させる可能性があるとの懸念もあった。最大民族パシュトゥン人であるカルザイ氏の優勢は揺るがないとみられるが、第2民族タジク人のアブドラ氏に「3位のハザラ人が支援に回る」(アブドラ陣営)との見方すらあった。
まあ、すべてをうやむやにしてのアブドラ氏決戦投票ボイコット、決選投票中止、そしてカルザイ氏再選といえる。
米国の「テロとの戦い」の最前線でありながらこのところメディアへの露出が減ってしまったアフガン。このアフガンで8月20日、自由選挙による2回目の大統領選が実施される。6日に米国を訪問したアフガンのカルザイ大統領は既に4日に、大統領選の候補者名簿に登録。
8日に締め切られた立候補届け出によると、これまでに、再選を目指す現職のカルザイ大統領をはじめ、女性2人を含む44人が届け出を行った。選挙管理委員会の審査を経て、6月12日に正式な候補者名簿が発表される。現時点では、カルザイ大統領に対する有力な対抗馬は見当たらず、同大統領の再選は確実。
で、イラクからの「名誉ある撤退」を模索する一方で、米軍兵力のアフガンシフトを公言しているオバマ米大統領。オバマ大統領は6日、ホワイトハウスで、米国入りしたカルザイ大統領およびカルダリ・パキスタン大統領と個別会談。さらには米・アフガン・パキスタンの3カ国大統領会談も行い、「テロとの戦い」完遂への意気込みを内外に誇示。
オバマ大統領は3カ国大統領会談の後、「国際テロ組織アルカイダとその協力者を分裂させ、解体し、打倒するという共通の目標を持って3カ国は集まった」と強調。その上で「共通の敵」を打ち破るため、情報共有など3カ国の連携強化の必要性を訴えた。また、アフガン政府が「共通の敵」と戦うのを支援する際、「市民の犠牲を防ぐ努力をする」とも述べた。度重なる米軍誤爆報道に対する苦しい弁明だ。
いずれにせよ、今夏のアフガン大統領選に向けて、アフガンに兵員を送っている米国、北大西洋条約機構(NATO)の派兵国は大変だ。仏ストラスブールで開かれていたNATO首脳会議は4月4日、軍事、民生支援の両方を支援するオバマ大統領の包括戦略を承認。これを受け、増派をしぶっていた欧州各国は、一転、今夏のアフガン大統領選に向け、約3000人の要員派遣を決めた。しかし、あくまで選挙までの短期的な派遣で、恒常的兵員不足に悩まされているNATOのアフガン展開の前途は不透明。
報道などによると、英国は選挙監視までの治安維持のための兵員として900人を派遣。またドイツ、スペインが各600人、イタリアも約250人を派遣する。このほか各国は計約1400~2000人のアフガン軍隊・警察の訓練要員も派遣する。
他方、アフガンと国境を接するパキスタンでは、国境地帯周辺のアフガン反政府武装勢力タリバンなどの掃討作戦を強化。パキスタン軍は8日、北西辺境州のスワト地区でタリバンなどイスラム武装勢力の一掃に向けた大規模な軍事作戦を行い、過去24時間に武装勢力側143人を殺害したと発表した。同地区ではこの2月に州政府と武装勢力との間で和平協定が結ばれたが、ギラニ・パキスタン首相は7日の国民向け演説で、武装勢力側が協定違反を繰り返したとして、協定を事実上破棄、攻撃を開始したことを明らかにしていた。
パキスタンや米政府内では、協定締結後にむしろ武装勢力が北西部で支配圏を拡大し、首都イスラマバードに迫る勢いを見せていることに危機感が強まっていた。軍事作戦はこうした状況を背景にしており、アフガン大統領選を前に戦闘の激化が予想される。
テロとの戦いKABUL, Afghanistan - Afghanistan's deadliest suicide attack since the Taliban regime's ouster killed 59 schoolchildren, while 96 other students were wounded in the blast, the Education Ministry spokesman said Friday.
The attack in the northern province of Baghlan on Tuesday killed at least 75 people. The dead children were ages eight to 18, said Zahoor Afghan, an Education Ministry spokesman.
Five teachers were also among those killed in the attack, the worst in the country since the 2001 U.S.-led invasion toppled the Taliban militant movement from power. Six lawmakers also died.
旧支配勢力タリバンのテロで混乱の続くアフガン北部のバグラン州で、2001年のタリバン放逐以来最大規模の自爆テロが発生、少なくとも75人が死亡した。このうち59人は8歳から18歳までの児童・生徒で、他に生徒96人が負傷した。同国教育省スポークスマンが言明。
自爆テロは、バグラン州内で6日午後、精糖工場を視察に来ていた国会議員らの一団の近くで発生、議員らを出迎えるため並んでいた児童・生徒が巻き込まれた。死者の中には、5人の教師や国会議員6人も含まれている。
アフガン政府はこの事件の結果、同国の児童・生徒に対し教育以外の行事を押し付けてはならないとの行政命令を同国教育省に通達した。
事件現場は首都カブールの北方約150キロのプルイフムリにある精糖工場だという。
アフガンKABUL (AFP) - Around 100 people were killed or wounded in a suicide blast in a sugar factory in northern Afghanistan on Tuesday, a health official said after the government confirmed six MPs were among the dead.
In the immediate aftermath of the late afternoon blast in the town of Pul-i-Khumri about 150 kilometres (90 miles) north of Kabul, officials could not provide AFP with a breakdown of dead and wounded.
AFP通信が伝えたところによると、アフガン北部バグラン州内で6日午後、精糖工場を視察に来ていた国会議員らの一団の近くで自爆テロが発生、国会議員6人を含む役100人が死亡した。
事件現場は首都カブールの北方約150キロのプルイフムリにある精糖工場だという。アフガン当局は同通信に対し、死傷者の詳細を公表することを避けた。

