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At least eight people were killed and about 22 others wounded in Beirut on Sunday in some of the worst internal violence since Lebanon's 1975-1990 Civil War, raising tensions in a country gripped by a political crisis. Riots continued until late Sunday night, and as The Daily Star went to press The Lebanese Army had still not contained violence which erupted in Beirut's southern suburbs.

Sunday's protest began in the Mar Mikhael area of southern Beirut, near the site of the massacre of Palestinians that triggered the Civil War.

The violence spiraled after an activist from the opposition Amal Movement, Ali Hassan Hamza, was shot dead, reportedly as was urging members of his group to heed army calls to break up an angry demonstration against power cuts.

Late on Sunday a hand grenade was tossed in the neighborhood of Ain al-Rummaneh, the Christian neighborhood parallel to Mar Mikhael, wounding four people.

 2007年9月、国際テロ組織アルカイダ系の武装グループ、ファタハ・イスラムを掃討した後も大統領選出問題などで混乱が続いているレバノンの首都ベイルートで27日、電力不足に抗議するシーア派住民のデモ隊に何者かが発砲する事件が発生、同日深夜までに少なくとも8人が死亡し、22人が負傷するという流血の事態となった。デモは暴徒化し、1975―90年のレバノン内戦以来最大規模の騒乱。

 レバノンの英字紙デーリースターは、政府軍治安部隊は、ベイルート南郊のシーア地区と呼ばれるシーア派居住区で起きた騒乱を、完全には掌握し切れていないと報じている。現場は、レバノン内戦の発端となったパレスチナ難民虐殺事件が起きたマルミハイエル地区に近い。

 今回の騒乱は、シーア派野党勢力の「アマル」活動家、アル・ハッサン・ハムザ氏が、電力不足抗議デモに参加している「アマル」支持者に対し、デモ隊から離れて冷静を保つよう訴えていた際に、何者かによって射殺されたことから起きた。26日夜には、騒乱はマルミハイエルに接するキリスト教徒居住区のアインルマネ地区にも飛び火し,、何者かが投げた手榴弾で4人が負傷。

 レバノン政府軍治安部隊は、中立を保ち、空に向かって威嚇射撃するなど沈静化に努力しているが、奏功していない。「アマル」党首のナビ・ベリ国会議長、「アマル」と野党連合を結んでいるシーア派原理主義組織ヒズボラも、それぞれ支持者に対し、「平静を保つ」よう訴えている。

 騒乱は、南部のサイダ、ティール、東部のベカー平原一帯にも広がる気配を見せている。

BEIRUT, Lebanon - Hezbollah's reclusive leader claimed Saturday the militant group had the remains of Israeli soldiers killed in Lebanon during the 2006 war, saying the dead were left behind "in our villages and fields."

Sheik Hassan Nasrallah's graphic description appeared aimed at pressuring Israel to accept a prisoner exchange. Israel is thought to be holding at least seven Lebanese prisoners while Hezbollah has two Israeli soldiers it captured in July 2006, triggering the war.

 レバノンのシーア派イスラム原理主義組織「ヒズボラ」の最高指導者、ハッサン・ナスララ(Hassan Nasrallah)師は19日、レバノンの首都ベイルート南郊外のシーア地区で演説、2006年のイスラエル軍レバノン侵攻で戦死したイスラエル兵の遺体をヒズボラが保持しているとイスラエルを牽制、ヒズボラ、イスラエル間の捕虜交換を強く要求した。

 ナスララ師が公の場に登場して演説したのは約1年ぶり。シーア派最大の宗教行事「アシュラ」に合わせての演説。

 ナスララ師はイスラエルとの間で06年に発生した軍事衝突について言及し、「(イスラエル軍は)頭部や手足だけでなく、頭から骨盤近くまでほとんど無傷な死体をも置き去りにしていった」と述べ、ヒズボラがイスラエル軍を撤退させたことを強調した。また、いつでも新たな戦いの準備はできているとして警告。

 06年7月に発生したヒズボラによるイスラエル軍兵士2人の身柄拘束は、34日間にわたるイスラエル軍によるレバノン侵攻の引き金となった。この紛争でレバノンの民間人1200人以上が犠牲となり、またイスラエル側も兵士を中心に160人が死亡した。

 イスラエルは、少なくともヒズボラ活動家など7人の身柄を拘束、ヒズボラはイスラエル兵2人を拘束中。

Militant-held camp falls to Lebanon army

MOHAMMARA, Lebanon - The last militant stronghold of a Palestinian refugee camp devastated by more than three months of fighting between Islamic fighters and Lebanese soldiers fell to the army on Sunday, security officials said.

Hours after the army killed 32 militants and captured at least 15 others as they tried to break out of the Nahr el-Bared camp, only occasional gunfire could be heard inside.

The officials, speaking on condition of anonymity, said the last stronghold of Fatah Islam militants fell later in the day to the army, which captured five wounded militants in their hideout.

 レバノン北部トリポリ近郊のナハルルバレド・パレスチナ難民キャンプで5月30日以来続いていたレバノン治安部隊と国際テロ組織アルカイダ系武装グループ、ファタハ・イスラムの戦闘は2日、治安部隊側が同キャンプ内に残されたファタハ・イスラムの最後の拠点を制圧したことで収束した。この日の戦闘で、治安部隊側はファタハ・イスラムの要員32人を殺害、逃亡しようとした少なくとも15人の身柄を拘束。

 目撃者情報では、ナハルルバレド地難民キャンプでは現在散発的な銃声しか聞こえていない。

 この戦闘は、5月30日に、レバノン治安部隊がトリポリ市内のファタハ・イスラムの拠点を急襲したことから勃発、戦火は瞬く間にナハルルバレド難民キャンプ内に拡大。以後、治安部隊側が、同キャンプを包囲して、ファタハ・イスラム掃討に向けたローラー作戦を展開していた。

 ファタハ・イスラムに関しては、パレスチナ人の組織というよりも、イエメン、サウジなどアラブ諸国やパキスタン、インドからの外人部隊が主メンバーということが次第に明白となってきた。頭目のシャケル・アブシ(Shaker Abssi)というヨルダン川西岸出身のパレスチナ人で、パレスチナ系ヨルダン人テロリストで2006年米軍によってイラクで殺害されたザルカウィの信奉者ということだけははっきりしており、ビデオに撮られてもいる。この男の生死は今のところ不明。

THE FLYING TERRORIST - a world exclusive

No, this isn't (see video below) the new clip of Randy Crawford's song 'One Day I'll Fly Away'. Nor is it the new Super-, Spider- or He-Man.

This is exclusive footage of an Al-Qaeda inspired terrorist getting directly hit by a Lebanese army mortar. But that isn't the end, it is basically the beginning. Immediately after the mortar hits the building, the militant is - literally - catapulted 40 meters into the air. Eventually he falls back to earth and disappears in the smoke of the explosion. This little clip, to me at least, shows the madness of war.

 レバノン北部トリポリ近郊のナハルルバレド・パレスチナ難民キャンプで続く同国治安部隊と国際テロ組織アルカイダ系過激派ファタハ・イスラムの戦闘は、レバノン側が勝利宣言を行ったあとも依然として続行中。冒頭You Toube動画は、レバノン治安部隊の迫撃砲攻撃により、40メートルも空中に吹き飛ばされたファタハ・イスラムの戦闘員。

 これを撮影した本人は自分のブログ、HARRYZZZで、その模様を上記のように「迫撃砲着弾の衝撃で40メートル打ち上げられ、そして煙の中に再び落ちてきて姿が見えなくなった」と指摘している。

nahr_al_baared_camp2007-06-23.jpg  ムル・レバノン国防相が21日、ナハルルバレド・パレスチナ難民キャンプにおける国際テロ組織アルカイダ系ファタハ・イスラム掃討作戦に関し勝利宣言を行った後も、同キャンプでは残存分子に対する追跡戦が続行されている。パレスチナ人の難民キャンプでありながら、パレスチナ人は蚊帳の外だ。ファタハ・イスラムが狙っていたのは、イスラエルではなく米国である。

 ナハルルバレド難民キャンプの現況を見ると、レバノンそしてパレスチナ解放機構(PLO)の歴史が浮かんでくる。歴史的にキリスト教徒(マロン派)の多いレバノンは、第1次、第2次両世界大戦を経て周辺アラブ国が独立する過程で、中東では数少ないキリスト教徒中心の国家となった。元来のレバノンの領域は「小レバノン」と呼ばれ、これはオスマントルコ帝国時代にこの地を支配したイスラム教ドルーズ派の領主ファハル・アッディーンの支配地を根拠とする。

 レバノンは歴史的にはシリア地方の一部であったが、山岳地帯は西アジア地域の宗教的少数派の避難場所となる。峻険な山々が追っ手の追撃を拒んだからである。山間地のマロン派、ドルーズは、オスマン帝国からもそれぞれ自治を認められ、独自の共同体を維持することができた。19世紀頃からマロン派に影響力を持つカトリック教会を通じ欧州諸国の影響力が浸透。レバノンは地域的なまとまりを形成し始める一方、第2次世界大戦以降は、宗派の枠を越えたアラブ民族主義の中心地ともなった。

 第1次世界大戦後、仏の委任統治下に入り、キリスト教徒が多く仏にとって統治しやすかったレバノン山地はシリアから切り離される。そして、現在のレバノンの領域に当たるフランス委任統治領レバノンとなった。この結果、レバノンは、この地域に歴史的に根付いていたマロン派、東方正教会と、カトリック、プロテスタントを合計したキリスト教徒の割合が35%を越え(要するに仏は、レバノンにおいてキリスト教徒が最大宗派となるようシリア、レバノン間の国境線を引いたわけである)、シーア派、スンニ派などの他宗派に優越するようになる。

 人為的に引かれた国境線であるがゆえに、レバノンは、宗派によって国民・国家意識の濃淡が激しかった。具体的に言えば、独立運動を牽引したのはマロン派とドルーズ派であり、この両派はレバノンに対する帰属意識が高いといわれる。一方、スンニ派やシーア派、ギリシャ正教徒は、もともと小レバノンには少なく、大レバノンに多く住んでいた。彼らの生活圏は元来がシリアであり、ベイルートよりもダマスカスの方に帰属意識が強かったとされる。

 しかも、これら宗派は、レバノン国内ではそのいずれもが圧倒的な多数派を形成せず、ほぼ同じ人口比率配分で存在していた。この状況は、今に至るも大差はない。政治的影響を懸念して、レバノンでは過去に2回しか国勢調査が行われず、仏統治時代の第2次世界大戦中に食糧配給のために調査したものは非公開、公開がなされたのは1932年の調査のみであり、これはキリスト教徒6に対しイスラム教徒5という比率であった。しかも宗派別に住み分けていた。

 この宗派バランスが決定的に崩れる事態を招いたのが、アラファト議長率いるPLOだ。1970年のヨルダン内戦でアンマンを追われた同議長らPLO指導部は、ベイルートに本部を置く。これより先の1969年、同議長と当時のレバノン国軍司令官であるエマールブスタニー将軍は、ナセル・エジプト大統領の仲介でのちに「カイロ協定」と呼ばれるようになる取り決めに合意。PLOは、レバノンのパレスチナ難民キャンプにおける完全自治を獲得する。

 こうしてレバノンのパレスチナ難民キャンプ、とりわけ南部のそれは、PLOの対イスラエル攻撃の前線基地と化す。レバノン南部ヘルモン山周辺は「ファタハ・ランド」と呼ばれるまでになった。この結果、政治的優位維持を主張するマロン派と、政治力強化を欲するイスラム教徒・PLOやパレスチナ難民との間で対立が激化していく。そして運命の1975年を迎える。

 直接的なきっかけは、同年4月13日、ベイルート市内のアインルンマネ地区のキリスト教会で右派キリスト教徒勢力ファランヘ党による集会が行われていた際、同じく集会を終えて帰宅しようとしていたPLO支持者達のバスが教会を通りかかり、興奮していたPLO支持者が教会に発砲。ファランヘ党側もこれに応戦して銃撃戦に発展した。結果的にバスに乗っていたPLO支持者側全員が殺害された。この事件は地名を取ってアインルンマネ事件と呼ばれ、15年にわたって続いた不毛の内戦の始まりであった。

 戦闘と停戦を繰り返す血みどろの抗争に決定的な変換点が訪れたのは1982年のことだ。同年6月6日、駐英イスラエル大使が反アラファト系パレスチナ・テロ組織アブ・ニダル一派に狙撃され重傷を負う事件が発生する。これに対する報復として、PLO壊滅を旗印にシャロン国防相(後のイスラエル首相)率いるイスラエル軍がレバノンに軍事侵攻する「ガリラヤの平和作戦」、要するにレバノン戦争である。

 いかにPLOといえども、衆寡敵せず。イスラエル軍が同年6月13日、西ベイルートに突入したのをきっかけに、PLOは8月21日に停戦に応じ、8月30日にアラファト以下のPLO指導部および主力部隊がチュニジア脱出。サブラ、シャチーラ、ブルジバラジネのベイルート一帯のパレスチナ難民キャンプは灰燼に帰した。サブラ、シャチーラではパレスチナ難民虐殺事件も発生する。

 1983年半ば、アラファト議長は再びレバノン国内に潜入するが、そこで発生したのがシリア系のファタハ幹部による内戦。アラファト派は、総崩れとなってレバノン北部に追い詰められる。最後の拠点となったのがナハルルバレドとバダウィの両難民キャンプだった。そして、トリポリ港から、アラファト議長らは仏軍の艦艇に護衛されながら、再びチュニスに向け脱出っしたのである。以後、同議長がレバノンに戻ることは2度となかった。

 レバノン内戦はその後も、シリアと敵対するサダム・フセイン・イラク大統領が、右派キリスト教徒勢力に武器弾薬を送り続けたことから細々と続いたが、これもイラクがクウェートに軍事侵攻して湾岸危機を招く1990年まで。ほとほと疲れ切ったレバノン各派はようやく手打ち式を行い、内戦は終結する。

 大きな誤算を犯したのはPLO。湾岸危機・戦争でイラクを支持した結果、国際社会の総スカンを食らい、これを打開するためにはイスラエルとの共存を選ぶしか道はなくなった。こうしてオスロ合意の時代を迎え、現在に至っている。

 今のナハルルバレド難民キャンプを徘徊しているのはPLOではない。ファタハ・イスラム、ジュンド・アッシャム(Jund al-Sham)、アスバト・イスラム(Asbat Islam)、アンサル・アラー(Ansar Allah)などのパキスタン人やイエメンの氏素性も分からないごろつき集団だ。

 レバノン内戦の立役者の多くが、この30年間で鬼籍に入った。アラファト議長もその1人である。敵役のイスラエルのシャロン氏も、脳内出血で倒れて政界を引退した。オスロ合意1、オスロ合意2の下に、ヨルダン川西岸とガザ地区にパレスチナ暫定自治区が設けられた。自治政府議長はアッバスだ。

 そのパレスチナ自治区も、イスラム原理主義組織ハマスのガザ制圧で、事実上ガザと西岸に分割されてしまった。ナハルルバレド難民キャンプは、この30年間にこれら一帯で行われた人間どもの愚かさを、静かに見つめるばかりである。

BEIRUT, Lebanon - Lebanon's defense minister declared victory Thursday over the Fatah Islam militant group, saying it had been crushed after a monthlong military assault on its stronghold in a northern refugee camp and only mopping up remained.

A Muslim cleric who has been acting as a mediator said later that Fatah Islam agreed to stop firing, and calm descended over the Nahr el-Bared camp outside the port of Tripoli

The battle, Lebanon's worst internal violence since the 1975-90 civil war, killed 76 soldiers, at least 60 militants and more than 20 civilians. It came amid a fierce political power struggle between the Western-backed government and an opposition led by the militant Hezbollah.

 レバノンのムル国防相は21日夜、レバノン放送(LBC)テレビとのインタビューで、同国北部トリポリ近郊のナハルルバレド・パレスチナ難民キャンプで1カ月以上続いていた国際テロ組織アルカイダ系過激派ファタハ・イスラム掃討作戦に関し、「ファタハ・イスラムのすべての拠点を制圧した」として勝利宣言を行った。

 1990年にレバノン内戦が終結して以降最大規模の戦闘となった今回の治安部隊とファタハ・イスラムの軍事衝突では、これまでに少なくとも治安部隊要員76人、ファタハ・イスラム側60人が死亡。民間人の死者も20人以上に達した。

 ムル国防相はこの中で、「(ナハルルバレド難民キャンプにおける)軍事作戦は終了したと国民に断言することができる。若干の残務処理と地雷除去作業が残っているだけだ」と指摘した。

 ただ、ムル国防相は、ナハルルバレド難民キャンプの包囲は、指導者シャケル・アブシ(Shaker Abssi)、副官アブ・フレイラ(Abu Hureira)をはじめとするファタハ・イスラムの残党が投降するまで続けられるとし、「アブシが死んだとうことだけでは十分でない。もし死んだなら遺体などの証拠が必要だ」と組織壊滅に向けた意気込みを表明。

Tuesday's deaths of two soldiers brought the army's fatalities to 74 since fighting first erupted, when police raiding suspects in a bank robbery clashed with Fatah Islam in a Tripoli neighborhood.

At least 60 militants were killed in the early days of the fighting, with officials saying many more died later on. The militants have given a much lower death toll, but contact with them recently has not been possible. At least 20 civilians were reported killed.

camp_war2007-06-20.jpg  レバノン北部トリポリ近郊のナハルルバレド・パレスチナ難民キャンプで続く同国治安部隊と国際テロ組織アルカイダ系パレスチナ過激派ファタハ・イスラムの軍事衝突が、この20日で1カ月目を迎えた。同国治安部隊が銀行強盗の容疑者を追ってトリポリ市内のファタハ・イスラムの拠点を急襲して以来の戦闘による死者は治安部隊74人、ファタハ・イスラム少なくとも60人となった。民間人の死者は少なくとも20人。

 当初、世界の目は、ファタハ・イスラムがアルカイダと関係があるとされたことで、ナハルルバレド難民キャンプに注がれた、レバノン内戦以来の同国の悪弊にもれず停戦と戦闘を繰り返すだけなことから、今では大方忘れ去られている。パレスチナ自治区ガザでのパレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハとイスラム原理主義組織ハマスの全面軍事衝突があったからだ。

 レバノンのスンニ派聖職者、政治家を中心とする調停団が治安部隊とファタハ・イスラムの調停に当たっているが、若干の民間人をナハルルバレド難民キャンプから脱出させることができただけで、ファタハ・イスラムの投降などには成功していない。治安部隊側は、「テロリストを土壇場まで追い詰めている」としているが、決定的な勝利を得るまでにはまだ時間がかかりそうだ。

 ファタハ・イスラムに関しては、パレスチナ人の組織というよりも、イエメン、サウジなどアラブ諸国やパキスタン、インドからの外人部隊が主メンバーということが次第に明白となってきた。頭目のシャケル・アブシ(Shaker Abssi)というヨルダン川西岸出身のパレスチナ人で、パレスチナ系ヨルダン人テロリストで2006年米軍によってイラクで殺害されたザルカウィの信奉者ということだけははっきりしており、ビデオに撮られてもいる。

 1975年から1990年まで続いたレバノン内戦は、不倶戴天の敵シリアに対抗するためレバノンの反シリア右派キリスト教徒勢力に武器・資金援助を与えていたサダム・フセインが、クウェートに侵攻してレバノンに手が回らなくなったことから終結するチャンスが生まれた。ファタハ・イスラムは、なぜ1カ月もナハルルバレド難民キャンプで持ちこたえることができるのか。武器弾薬や資金はどこから入ってきているのか。

 うがった見方では、レバノンのシーア派組織でイスラエルと厳しく対峙しているヒズボラ(神の党)のレバノン国政におけるパワーをそぐため、米国とサウジが陰でファタハ・イスラムを支援しているのではないかと指摘する向きもある。

 また、反シリア系政治家へのテロが続いているのも不気味だ。6月13日には、2005年2月爆殺された反シリアのハリリ元首相に近いワリド・アイード議員が同じく爆殺された。こういった不安要因を尻目に、シニオラ首相以下レバノンの有力政治家はいずれもが、「テロリストとの妥協はあり得ない」「ファタハ・イスラムに残されているのは、降伏か死しかない」との声で一致している。そんなに時間は残されていないと思うのだが。。。

BEIRUT: Anti-Syrian MP Walid Eido was killed on Wednesday - along with his eldest son Khaled and eight other people -  when a booby-trapped car tore through the politician's convoy  near Beirut's seafront. Residents and passersby in Ras beirut flocked to the now-familiar scene of blazing cars, shattered windows and wounded bystanders. The booby-trapped car was on a side street sandwiched between the Madinat al-Malahi amusement park and the Sporting Club beach resort, where Eido frequently swam and played cards.

 ナハルルバレド・パレスチナ難民キャンプでの国際テロ組織アルカイダ系ファタハ・イスラム掃討作戦が長期化し政情不安が深刻化しているレバノンで13日、再び反シリア系議員が暗殺された。暗殺されたの、同じく暗殺された反シリアのハリリ元首相に近いワリド・アイード議員。イスラム教徒居住区である西ベイルートのラスベイルート地区の海岸道路を車で走行中、止めてあった車に仕掛けてあった爆発物が爆発、同乗していた息子とともに殺害された。他にボディガードら8人が死亡し、11人が負傷。

 事件現場は、マディーナアルマラヒ遊技センター・スポーツクラブに近い、地中海に面した海岸道路沿い。市民の憩いの場として知られる。

 レバノンでは2005年2月のハリリ元首相暗殺事件以来、反シリア派の閣僚や記者らがテロで殺害される事件が相次いでおり、シニオラ首相ら反シリア派は、これらのテロにシリアが関与していると非難していた。

ナハルルバレド難民キャンプの戦闘、打開策見えず

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NAHR AL-BARED, Lebanon (Reuters) - Five Lebanese soldiers were killed on Saturday in the latest bout of heavy fighting against al Qaeda-inspired militants entrenched in a Palestinian refugee camp, a military source said.

At least 125 people, including 53 soldiers and 42 militants, have been killed since the fighting began on May 20 -- almost three weeks ago -- making it Lebanon's worst internal violence since the 1975-1990 civil war.

 レバノン北部トリポリ近郊のナハルルバレド・パレスチナ難民キャンプで続いている同国治安部隊と国際テロ組織アルカイダ系パレスチナ過激派ファタハ・イスラムの軍事衝突は9日夜現在、一向に打開の気配を見せていない。

 1990年のレバノン内戦終結以来最大規模の軍事衝突となっている今回の戦闘で、これまでに少なくとも治安部隊側に60人、ファタハ・イスラム側に49人の死者が出た。民間人の死者は約20人。

 舞台裏で、レバノンのスンニ派聖職者たちが、ファタハ・イスラムの投降に関し、治安部隊とファタハ・イスラムの仲介を試みているが、同難民キャンプ内に残された民間人の脱出を一部可能にしただけ。仲介に当たっているのはスンニ派聖職者、政治家から成る「イスラム行動戦線」(Islamic Action Front)。

 軍事的な打開も、政治的な解決策も見いだせないまま、混乱状態だけが長期化するというレバノン内戦時のパターンが繰り返されている。

アインヘルワ難民キャンプ一帯でも戦闘―レバノン

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Near the southern city of Sidon, suspected members of the militant Islamic group Jund al-Sham fired a rocket-propelled-grenade at a Lebanese army checkpoint outside a camp Sunday, wounding at least five people, security officials said on customary condition of anonymity.

 レバノン北部ナハルルバレド・パレスチナ難民キャンプにおける同国治安部隊と国際テロ組織アルカイダ系パレスチナ過激派ファタハ・イスラムの戦闘が長期化する中で、同国南部サイダ近郊のアインヘルワ・パレスチナ難民キャンプ近くでも3日、同国治安部隊の検問所が襲撃を受ける事件が発生。治安筋が匿名を条件に語った。襲撃したのはスンニ派系のジュンド・アッシャム(Jund al-Sham)という武装集団。

 アインヘルワ難民キャンプ一帯では、北部のナハルルバレド難民キャンプにおける軍事衝突が始まって以降、再三にわたり治安部隊と地元武装集団の小競り合いが続いていた。今後、こういった戦闘が他のパレスチナ難民キャンプに拡大していくかどうかは今のところ不透明。

Jund al-Sham is a very small group that has sided with Fatah al-Islam, the group fighting the army at Nahr al-Bared, though there are no apparent organizational links between the two

 ジュンド・アッシャムについては詳細は不明だが、規模は非常に小さく、ファタハ・イスラムの動きに同調している。双方が組織的に連携しているかどうか明白な証拠は今のところない。3日から始まった戦闘では、これまでに治安部隊側に2人の死者が出た。また一般市民1人とジュンド・アッシャムの武装分子2人が死亡。

The fighting, which erupted on May 20, is Lebanon's worst internal violence since the 1975-1990 civil war. About 111 people have been killed and thousands have fled their homes.

 5月20日、トリポリの銀行強奪事件に端を発する治安部隊のファタハ・イスラム要員検挙を契機とした軍事衝突は、レバノン内戦(1975―1990)終結以降最大の流血の事態となっており、約111人が死亡している。

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