アラブ・イスラエル全面戦争の最後となった第4次中東戦争から35年。当時のアラブ、イスラエルの国家指導者で今も存命中なのは、リビアの最高指導者カダフィ大佐のみ。この間の画期的な出来事は、4次にわたる全面戦争の中核となったエジプトがイスラエルと平和条約を締結、2度と全面戦争が起こらなくなった点。次が、ヨルダン川西岸とガザ地区にパレスチナ暫定自治が敷かれ、パレスチナ自治政府が誕生したこと。全世界的な観点で見れば、ソ連邦が崩壊し米ソ冷戦構造が崩れ去ったことが背景にある。
さらに東に視点を移せば、1973年の第4次中東戦争から6年後の79年、イランでイスラム革命が勃発しパーレビ王政が崩壊。その年の12月、ソ連軍がアフガンに軍事侵攻し、今の南西アジアをめぐる混乱の原因をつくり上げた。イスラム革命の湾岸波及を恐れた欧米は、革命イランとするどく対峙(たいじ)していたイラクを支援し、アフガンではその後のタリバンの基礎となるイスラム反政府勢力を後押し。そして湾岸のクウェート侵攻したのは、イランではなく欧米の支援したフセイン・イラク政権だった。
アフガンに派兵した旧ソ連は、10年にわたり駐留を続けたが治安回復・統治に失敗し1989年に兵を完全に引き上げ、その2年後の91年12月、音をたてて崩れ去る。アフガンはその後も混乱が続き、イスラムを名乗る軍閥が割拠、その中で、パキスタンの支援を受けたイスラム原理主義勢力タリバンが政権を握る。ソ連邦崩壊の直前、クウェートを占領し得意の絶頂にあったフセイン・イラク政権に対し、欧米は派兵で応じて湾岸危機・戦争が起こり、今も続くイラク戦争を形づくった。
そして発生したのが、21世紀前半の紛争の有り様を象徴する2001年9月11日の米同時多発テロ。アラブ・イスラエル紛争、パレスチナ問題の陰に隠れてその全容がつかみ難かったイスラム原理主義の狂信的な有り様が、初めて全世界に示された。ブッシュ米政権は、報復として同テロの元凶、国際テロ組織アルカイダ指導者ビンラディンをかくまっているアフガンを空爆、政権の座にあったタリバンを放逐して、現在のカルザイ政権を誕生させたが、アフガンは依然として破綻国家のままだ。ビンラディン逮捕・殺害もまだ。
パレスチナに目を転ずれば、2007年6月、自治政府の挙国一致内閣で政権の一翼を担っていたイスラム原理主義組織ハマスが、ガザ地区を武装占領し挙国一致内閣は崩壊、ガザのハマスとヨルダン川西岸を実効支配するパレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハの2派併存となった。ファタハの主導するアッバス議長以下の自治政府を、世界は正統政権とみなしているが先行きはそれこそ不透明だ。ここでも見え隠れするのはイスラム原理主義の影である。
そして2009年1月、共和党のブッシュ政権に代わり民主党のオバマ政権が米国で誕生する。第4次中東戦争は、ベトナム戦争のさなかにあったニクソン共和党政権。イラン革命は、民主党のカーター政権下で起こった。カーター政権に代わり誕生したレーガン共和党政権は、当時のイラクのフセイン政権を無条件で支援し、アフガンのイスラム反政府勢力に対しては、スティンガーミサイルすら供与した。レーガン政権に代わるブッシュ(父親)政権は、湾岸危機・戦争でこれを軌道修正したが、一期で倒れた。
続くクリントン政権は、下半身問題を抱えながらも史上最高の好景気に支えられ2期をまっとうしたが、アルカイダ台頭の予兆を察知しながらも優柔不断の対応を取り続け、結果的に米同時多発テロを招いてしまう。ブッシュ(息子)政権は、いわばその尻ぬぐいとしてイラク戦争に踏み切ったが、4000人以上の米兵戦死を抱え込み、国民の間でつくづく飽きられてオバマ民主党政権に座を譲ることになってしまった。
オバマ次期政権は、「テロとの戦い」は完遂するとしているが、対話にも道をあけるという。強硬派こそ譲歩できるという政治の鉄則から見ると果たしてどうなのだろうか?
米中東政策
