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        <title>国際ニュース::Ishikawa-News.com</title>
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        <description>時代の鼓動をとらえよう！国際ジャーナリスト石川純一の世界情勢分析。３０年におよぶ中東報道を軸とした取材活動を踏まえ、「硝煙都市ベイルート」（同文館）、「宗教世界地図」（新潮文庫）の著者として知られる石川純一が、極度に忙しい現代の修羅場に生きる方々のため、過去を分析し、今日を知り、明日を予測するために斬る！</description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2010</copyright>
        <lastBuildDate>Sat, 06 Mar 2010 16:49:48 +0900</lastBuildDate>
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            <title>イラン核問題でまたまた表出した戦後体制の矛盾</title>
            <description><![CDATA[<p>　濃縮度２０％のウラン濃縮に成功し、国際原子力機関（ＩＡＥＡ）が核兵器獲得の危険性を初めて公式に盛り込んだイラン核問題。２１世紀の今の世界で果たして核が抑止力を持ち得るのかどうかはなはだ疑問だ。膨大な核を抱えていても、米国は２００１年９月１１日の同時多発テロを防ぐことはできなかった。中東に関して言えば、核を保有していることが公然の秘密となっているイスラエルは、１９７３年の第４次中東戦争を防ぐことはできなかった。旧ソ連はハリネズミのように核を抱え込んでいたが、崩壊を回避することはできなかったのである。</p>

<p>　米、英、仏、旧ソ連（現ロシア）、中国のいわゆる「核クラブ」は、世界で最初期に核兵器を開発した利権を維持しようとして、核拡散防止条約（ＮＰＴ）を批准、包括的核実験禁止条約（ＣＴＢＴ）を受け入れているかどうかにかかわらず、他国が新たに核兵器を獲得することを認めていない。核物資や核に関する技術と装置は、たとえそれが平和利用を目的とする原子力発電用のものであると主張しても、ＩＡＥＡの厳しい監視下でしか導入は許されない。が、国際政治の力学の中で、インド、パキスタン、北朝鮮が核兵器を保有し、イスラエルも既述のごとく核兵器保有が確実視されているのが現状だ。</p>

<p>　自分は保持していながら相手が同じように核を保持しようと動いたら「持つな」と恫喝する。これほど虫のいい話はない。だが、核に関してだけは、こういった矛盾をそもそも抱えているのが、現実の国際社会といっていい。これを受け入れるか、拒否するかで、同じ仲間に入れてもらえるか、それとも袋だたきにされるかが決まる。訪日したイランのラリジャニ国民議会議長は２５日、東京都内のホテルで講演し、１９７９年のイラン革命に伴い米国が核燃料に関する契約違反を行ったことが問題の原点だと強調、革命まではイランの核開発に協力していた過去を引き合いに、イラン敵視に転じた現在の米国を激しく攻撃したのも、この点を訴えたかったからだろう。</p>

<p>　イランにおける核開発の歴史は、革命前の１９５７年に米国との間で原子力平和利用に関する協定を結んだのに始まる。１９７４年には、米国が実験用原子炉を提供し、同年、イランはＮＰＴを批准した。その後、イランは、仏、カナダ、ドイツとの間で原子力平和利用に関して契約を結び、仏との間ではウラン濃縮、ドイツとの間では原子力発電所について交渉が進んでいた。ところが１９７９年にイラン革命が勃発し、米国と同盟関係にあったパーレビ体制が崩壊。西側は一斉にこういった協力関係から手を引いてしまう。１９８０年代初期に自力で原子力平和利用計画を推進する方針を決定し、レーザー、ウラン濃縮、遠心分離などあらゆる方法を追求することを決定してしまう。</p>

<p>　「米国は自ら大量の核兵器を保有する一方で、イスラエルの核兵器に見て見ぬふりをしている。米国こそが問題の根源だ」というのがラリジャニ議長の言だが、核クラブの歴史、それの抱える根源的な矛盾を勘案すると、ラリジャニ発言が「うそで固めたもの」という指摘は当たらない。第２次大戦の戦勝国が国連安保理の席を独占し、核クラブを構成して既得権益を維持しようと奔走、そしてこれを「まあ、そんなもの」と認めいるのが今の国際社会である。反対すればイランの袋だたきにあう。</p>]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2010/03/post-621.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">Iran</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 06 Mar 2010 16:49:48 +0900</pubDate>
        </item>
        
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            <title>イランが核兵器の獲得に乗り出す―IAEAが報告書に盛り込む</title>
            <description><![CDATA[<p>　濃縮度２０％のウラン濃縮にアフマドネジャド大統領が革命記念式典で呼号するまでに至ったイラン。オバマ大米政権をはじめとする米欧の度重なる懸念表明にもかかわらず、一向に国際社会の声に耳を貸そうとはしない。ここにきて、今度は国際原子力機関（ＩＡＥＡ）が１８日の報告書で、イランが核弾頭の開発に着手している可能性があると公式に表明。ＩＡＥＡはこれまで、イラン核についてはほぼ中立の立場を貫いてきたが、今回初めてイランが核兵器の獲得に乗り出していることを報告書に盛り込んだ。</p>

<p>　報告書はまた、イランが高濃縮ウランの製造を完了し、高濃縮ウランを製造するための大量の低濃縮ウランを確保していることを確認。その総量は、民間使用に必要なレベルをはるかに上回っていると指摘している。昨年の報告書では、イランは既に実用レベルの核兵器開発を視野に、爆発物の専門家を育成、訓練していると結論付けている。今回の報告書は、この点を念頭に入れると、相当深刻に受け止めざるを得まい。</p>

<p>　イラン核については、かつてイラクの原子炉を先制空爆して国際社会を驚愕させたイスラエルが、最も直接的に「引き金」を引く可能性を持つ。米国が再三にわたってちらつかせている追加制裁など、結局は、イランの坊主どもにとっては笑止千万な茶番でしかないからだ。が、この先制攻撃の可能性を念頭に、イランは、ロシアのＳ３００対空防衛ミサイルをお手本に国産の対空防衛システムを開発、近く正式に発表するという。</p>

<p>　イラン国営通信（ＩＲＮＡ）によると、イラン空軍側が近く発表するといわれる国産の対空防衛システムは、ロシアのＳ３００クラスかもしくはそれを上回る威力を持つものだという。イランの核関連施設に対する空からの攻撃を防ごうとするものであることは確実。かつて、イランの最大の仮想敵国は、イラン・イラク戦争で長年にわたって戦火を交えてきたフセイン大統領率いるイラク。が、これを米国がつぶしてくれたおかげで、目の上のたんこぶがとれた形。で、すわ核開発で大国の仲間入りというわけだ。</p>

<p>　もっとも、アフマドネジャド大統領の不細工なひげ面を見るにつけ、北朝鮮の金正日総書記同様、核も内政のうちという側面がちらついて仕方がない。国内に鬱積す反る宗教界保守派の動き、民主化要求を押しつぶすために、核に飛びついてくるオバマ政権を利用して、「核の平和利用に反対する異端の連中」打倒を叫んで、返す刀で国内の民主化要求運動をつぶしてしまおうという魂胆が見え隠れするからだ。</p>]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2010/02/iaea.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">Iran</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 27 Feb 2010 16:57:38 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>濃縮度２０％のウラン濃縮に成功―イラン大統領、革命記念日に呼号</title>
            <description><![CDATA[<p>　イランが２月１１日、イスラム革命達成３１周年を迎えた。アフマドネジャド同国大統領はこの日、故ホメイニ師を精神的指導者に仰いだ反パーレビを叫ぶ市民が革命成就に歓呼の声を上げた同じ首都テヘランのアザディ広場で演説。濃縮度２０％のウラン濃縮に成功したことを公言した。９日の中部ナタンズにおける濃縮度２０％のウラン製造開始報道（国営メディア）に次ぐものだ。</p>

<p>　イランは先に、国際原子力機関（ＩＡＥＡ）が低濃縮ウランを国外搬送し、これを加工処理した上でテヘランの研究用原子炉用とするとの案を拒否。制裁をちらつかせる米政権はこれに真っ向から反論。ギブズ米大統領報道官は同じ１１日の記者会見で、「イランが主張するほどの濃縮能力を持っているとは信じていない」と疑問を示した。同報道官は、ウラン濃縮に関するイラン側の発言の多くは「物理学よりも政治に基づく場合が多い」と述べ、過去のアフマディネジャド大統領の発言も「虚偽と判明することが多い」とした。</p>

<p>　他方、クローリー国務次官補（広報担当）も電話による記者会見で、２０％のウラン濃縮の信頼性には疑問を示したが、イラン側の発言は「深刻に受け止めており、国連決議に違反するものだ。イランの核計画の意図が、平和目的ではないとの米国や国際社会の印象を強めるものだ」と言明。オバマ大統領は既に９日、イランが低濃縮ウランの国外搬送・加工というＩＡＥＡ案を受け入れない限り、国連安保理での対イラン制裁協議は不可避と言明している。</p>

<p>　オバマ政権は上記の点に絡み、アラブ湾岸諸国との軍事的な連携の強化も重視し、特にミサイル防衛（ＭＤ）能力の向上に力を入れている。イランが３日、弾道ミサイルへの技術転用が可能な衛星用ロケットの打ち上げを成功させ、２００９年１２月には、イスラエルや湾岸諸国を射程に収める中距離弾道ミサイル「セジル２」の試射を実施したことも重視。クウェート、カタール、アラブ首長国連邦（ＵＡＥ）、バーレーンの４カ国に、地上発射型と海上発射型のパトリオット（ＰＡＣ３）を実戦配備。</p>

<p>オバマ政権の強硬姿勢の背景には、イラン核への先制攻撃も辞さずとするイスラエルが控えているだけに、イスラエル側の懸念を払拭するためにも、この強硬姿勢を崩すわけにはいくまい。</p>

<p>　もっともイランはイランで、国内に改革派、民主化推進派の台頭というやっかいな問題を抱えている。宗教界保守派の牛耳るイスラム政権を、何とか改革しようとする若年層を中心とした流れだ。が、国際的に認知されるまでには依然として至っておらず、苦しい運動展開を余儀なくされている。</p>]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2010/02/post-619.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">Iran</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 19 Feb 2010 19:01:08 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>焦点は国内経済に、「日本」の語句なし―オバマ一般教書演説</title>
            <description><![CDATA[<p>　オバマ米大統領が１月２７日、上下両院合同会議でホワイトハウス入り後２年目の内外諸政策を示す一般教書演説。「ＣＨＡＮＧＥ」、要するに変革もしくは改革、刷新を掲げてホワイトハウスの住人になったものの、この「ＣＨＡＮＧＥ」が思い通りに推移していないことを確認。「多くの米国民にとって、『ＣＨＡＮＧＥ』は十分なものではなかった。多くの人々は失望し怒っている」とは本人の弁。深刻な不況や高い失業率を念頭に、２０１０年の最優先課題が雇用であることを再確認するものだった。</p>

<p>　あおりをくってぶっ飛んだ言葉が「日本」。沖縄県の普天間米軍飛行場移設問で迷走を続ける日米関係だが、両国関係は、米外交・安保政策の要の１つであるはず。「テロとの戦い」に関しても、「太平洋地域から南アジア、アラビア半島までの国々との関係を強化してきた」と指摘しはしたが、ここでも日本という言葉はなし。自由貿易協定（ＦＴＡ）を念頭にした雇用対策でも、韓国、パナマ、コロンビアとの関係強化をうたっただけで、日本には触れず。</p>

<p>　多くを国内経済問題に割いた演説でも、そもそも諸外国の国名が挙げられることは非常に少なかった。が、米国がより積極的な経済政策を打ち出すべきだとした流れの中では、中国、ドイツ、インドをわざわざ引き合いに出し、「中国、ドイツ、インドもただ手をこまねいて経済の改善を待ってはいなかった。米国がその後塵を拝することは断じてない」と断言し、米国は負けないとした。国内総生産（ＧＤＰ）が米国に次いで世界第２位の日本は鼻も引っかけてもらえなかった。</p>

<p>　オバマ大統領にとっては、今回の一般教書演説は、大統領就任後初めての教書演説。結局のところ、１）雇用の創出と財政赤字の改善を最優先課題とする２）今後５年で対外輸出を倍増、２００万人の雇用を支援する３）核なき世界を追求し、４月に「世界核サミット」開催を目指す。核兵器がテロリストの手に渡ることを拒否４）この観点から、北朝鮮とイランはさらなる孤立と制裁に直面―が骨子。雇用に関しては超党派の協力態勢を議会側に要請したことになる。</p>

<p>　オバマ大統領とは対照的に、日本にたびたび触れたのが共和党のブッシュ前大統領。例えば、０７年１月の一般教書演説では「米国は中国、日本、韓国のパートナーとともに、朝鮮半島の非核化を達成すべく集中的な外交を遂行している」と述べている。</p>

<p>　負けてはいられない国の中に入らなかった日本だが、さまありなんという気がしないでもない。右を向いても左を見ても「真っ暗闇じゃあござんせんか」なのだから。。。</p>]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2010/02/post-618.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">United States</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 12 Feb 2010 15:04:13 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>俺の見通しが甘かったぜい―オバマ米大統領が中東情勢でぼやき</title>
            <description><![CDATA[<p>　米国のジョージ・ミッチェル中東特使が２１日、頓挫したままのパレスチナ・イスラエル和平交渉再活性化を目指し現地歴訪を開始。が、その一方で、ＡＰ通信が伝えたところによると、同大統領は同日付米紙タイムとのインタビューで、パレスチナ、イスラエル双方とも内政絡みで極めて困難な局面を抱えており、再活性化は非常に難しいとの見方を表明。自身の中東情勢に関する見方が「甘かった」ことを認めた。</p>

<p>　ミッチェル特使は２１日にイスラエル入りしネタニヤフ首相と会談、２２日にはヨルダン川西岸のラマラを訪れ、アッバス・パレスチナ自治政府議長と会見、イスラエル、パレスチナの２国家共存を核とする和平交渉の方途を探る。ところが、ネタニヤフ首相は２０日、外国メディアとの会見で、仮にパレスチナ独立国家が樹立されても、「ヨルダン川西岸の東部地域にはイスラエル軍が駐留を継続する。武器の流入を防ぐためだ」と断言。独立国家樹立後のイスラエル軍駐留の必要性を公言した。</p>

<p>　ヨルダン川西岸の東部地域とは、要するにヨルダンに隣接するヨルダン渓谷のことだが、ネタニヤフ首相は、この地域がパレスチナ武装分子や宗教的過激派の「聖域」となって対イスラエル領軍事攻撃に使われる可能性を指摘したもので、パレスチナ・イスラム原理主義勢力ハマスが実効支配するガザ地区の現況を見れば、この指摘もあながち、由なしと一蹴することはできないだろう。無論、ヨルダン川西岸、東エルサレムからのイスラエル完全撤退を掲げるパレスチナ側は猛反発。</p>

<p>　ネタニヤフ首相は２００９年６月、自らが長年にわたり拒否してきたパレスチナ独立国家樹立に基づく中東和平を米国の圧力により受け入れたが、連立政権内部に領土的譲歩を頑なに拒む強硬派を抱えることから、今度はヨルダン川西岸の東部地域におけるイスラエル軍駐留継続を持ち出してきたといえる。東エルサレムの死守も目論むネタニヤフ政権にとっては、鎧の下に垣間見えた「本音」がついに出たと言ったら言い過ぎか？目指す相手は、当然ながら米国である。これはパレスチナ側にとっても同様のことだ。</p>

<p>　冒頭のオバマ大統領のぼやきも、この点を指したものだ。同大統領はこの中で、右派・強硬派を閣内に抱えるイスラエル、内部分裂に陥ったままのパレスチナとも、和平に向け思い切った政治決断を下せない状況にあるとした上で、「早く（実情を）見通せていれば期待感を高めることはなかった」と断言。米国の仲介能力を「過大評価」していたことを確認。</p>

<p>　いずれにせよ、ネタニヤフ政権、アッバス議長側の双方が「相手があいつなら、こちら側としては何も打つ手がない」と言っているのに等しい。交渉は入り口の段階で石に躓いてこけているのである。</p>]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2010/01/post-617.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">MiddleEast</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 27 Jan 2010 15:08:53 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>アフガンよ、カイバル峠の彼方に何を見る？</title>
            <description><![CDATA[<p>　カイバル峠。アフガンとパキスタンの国境に位置する峠だ。日光のいろは坂を大規模にしたようなものだ。標高は約１０７０メートル。南アジアと中央ユーラシアを結ぶ戦略的要衝であり、世界にあまたある「文明の交差路」の１つでもある。１９３５年のハリウッド映画でゲーリー・クーパーの名前を一躍有名にした「ベンガルの槍騎兵」という作品があるが、舞台となっているのがこの峠一帯だとされる。</p>

<p>　カイバル峠をベンガルの槍騎兵、要するに英直轄植民地インドに駐留する英軍将兵、インド兵が疾駆したころは、欧州諸列強による帝国主義・植民地主義が華やかなりし時だ。大英帝国は東インド会社を中核にインド亜大陸の植民地化を進め、１８７７年には遂に英領インド帝国を成立させる。大英帝国の当面の敵は、不凍港を求めて南下するロシア帝国。</p>

<p>　今のパキスタン、バングラデシュも版図に入れた英東インド会社、後の英領インド帝国に駐留する英・インド軍は、南下するロシア帝国の先手を打ってアフガンに進出、これを植民地化しようと企む。こうして１９世紀半ばから、第１次、第２次、第３次と３回にわたるアフガン戦争が、第１次世界大戦を挟んで英軍とアフガン現地イスラム系部族との間で戦われることになる。そして、第２次アフガン戦争で、アフガンは大英帝国の保護国となるが、１９１９年の第３次アフガン戦争の結果、アフガンは首長国として完全独立を果たす。</p>

<p>　要するにアフガンは１９世紀以降、一時期、大英帝国の保護国となっただけで、植民地となったことはないわけだ。急峻な山々に囲まれた石油など天然資源も皆無といっていいこの地域に、実際のところ誰も興味を抱かなかったからだというのが実情だろう。１９１９年に王国として完全独立して以来、１９７３年に軍の無血クーデターで王制が打倒され、ダウド大統領が誕生するまで、アフガンは無風状態ともいえる平和な時を過ごす。カイバル峠も、欧州につながるアジアハイウエーの通過点として、広く世界に開かれていた。</p>

<p>　が、平和な時は長く続かない。イスラム教に代わり、軍の内部ではとってつけたような共産主義が台頭、旧ソ連の力も借りて１９７８年にはダウド大統領打倒の軍事クーデター。翌１９７９年には、旧ソ連軍がアフガンに軍事侵攻する。旧ソ連の傀儡である社会主義政権こそ誕生させたものの、旧ソ連軍は、アフガンの国土をめちゃめちゃにしたのち１９８９年に何ら成すところなく撤退。あとはイスラム各部族の群雄割拠だ。これは１９９８年にイスラム原理主義勢力タリバンが全土を掌握するまで続く。</p>

<p>　旧ソ連軍軍事侵攻下のアフガンには、アラブ各国から志願兵が送り込まれ、現在の国際テロ組織アルカイダの指導者ビンラディンもその１人だった。２００１年９月１１日、米同時多発テロ発生。直後、米国はアルカイダが同テロの主犯として、自衛権の発動と自称して他の同盟諸国と一緒にアフガン空爆・地上侵攻を開始。タリバンを政権の座から追い落として、２００２年にカルザイ政権を樹立させる。</p>

<p>　なるほど、アフガンは１９世紀以降、欧州諸列強の植民地と化すことはなかった。が、常に破綻国家であったことは、彼の地が平和な時を含めて常態だったといえる。まさに。「テロとの戦い」の最前線アフガンよどこえ行くだ。</p>]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2010/01/post-616.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">Afghanistan</category>
            
            
            <pubDate>Tue, 19 Jan 2010 20:15:21 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昨年１２月のイラクの月間戦死者はなし、アフガンは激増―駐留米軍</title>
            <description><![CDATA[<p>　昨年末配信した記事で、２００３年３月開始されたイラク戦争の米軍将兵戦死者が、０９年１２月２２日の段階で４３７０人に達したと伝えた。が、新年早々、イラク駐留米軍のオディエルノ司令官は、駐留米軍将兵にに昨年１２月は戦死者が出なかったことを公表。開戦以来、月間の敵対的軍事行動による死者数が零になったのは初めて。米紙ワシントン・ポスト（電子版）などが報じた。非敵対的軍事行動による死者はいたという。</p>

<p>　イラクでは、２年前は１日当たり２００件の攻撃があったが、現在は１日当たり１５件に激減。米国防総省は既に、駐留米軍の規模を現在の約１１万人から８月末までに５万人に減らす計画を発表、とりわけ、戦闘部隊は１１年末までに完全撤退する方針だ。同省によると、昨年１２月５日時点の集計で、イラクの年間米兵死者数は１４５人と前年０８年から半減し、ピーク時の約６分の１となった。</p>

<p>　「テロとの戦い」完遂をスローガンに登場したオバマ米政権は、イラク戦争の「戦後処理」を急ぎ、新生イラク政府軍、警察部隊に一刻でも早く治安権限を完全移行したい考え。テロ対策の軸足をアフガンに移すのが眼目だが。アフガンの０８年の年間米兵死者数は０８年の約２倍に当たる約３００人と急増、過去最悪となっている。</p>

<p>　この点に関し、オバマ大統領は１２月２日午前（日本時間）、ウエストポイントの陸軍士官学校で「アフガン駐留米軍を３万以上増派する」と正式発表。増派の規模が３万以上に上ることは、ホワイトハウス当局者がこれまでにリークしていたが、同大統領自らの口から公にされたのは初めて。アフガン駐留米軍の規模は現在６万８０００人。したがって、１.５倍もの大増派である。撤退開始時期は１１年７月。それまでは、アフガン駐留米軍は１０万人という態勢になるわけだ。</p>

<p>　そのアフガンだが、イラクが漸次沈静化の兆しを見せ始めた中で、確かに再び流動化し初めているのは間違いないようだ。年も押し迫った昨年１２月３０日には、東部ホスト州にある米軍基地で自爆テロが発生、米中央情報局（ＣＩＡ）要員とアブドラ・ヨルダン国王のいとこ、シャリフ・アリ・ビンゼイド・ヨルダン国軍大尉が死亡。実行犯は、国際テロ組織アルカイダ、タリバンの２重スパイだったヨルダン人医師フマン・カリル・アブムラル・バラウィ容器者と特定された。</p>

<p>　複数のイスラム系サイトは６日、アルカイダのナンバー３でアフガンにおけるテロ作戦を統括するムスタファ・アブ・ヤジド司令官による上記の自爆テロに関する犯行声明を掲載、パキスタン・タリバン運動（ＴＴＰ）のベイトラ・メスード司令官が昨年８月、ミサイル攻撃で死亡したことに対する報復と犯行理由を述べている。</p>

<p>　さらに、アルカイダがアフガンとともに、イエメンにおいても活動を強化している。米国では昨年１２月２５日のクリスマス当日、米デルタ航空傘下のノースウエスト航空機の爆破未遂事件が起きており、航空機警備の不手際が指摘されるとともに、取り押さえられた実行犯が、爆発物をアルカイダから受け取ったことが明らかとなった。アルカイダの犯行声明では、イエメンにおける米軍のアルカイダ攻撃に対する報復とされる。</p>]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2010/01/post-615.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">Iraq</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 15 Jan 2010 11:11:48 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>米軍将兵の戦死者４３００人強―イラク戦争</title>
            <description><![CDATA[<p>　２００３年３月開始されたイラク戦争の米軍将兵戦死者が、０９年１２月２２日の段階で４３７０人に達した。この中には９人の米軍属民間人が含まれており、少なくとも３４７７人が作戦中に受けた敵対行動による戦死者。ＡＰ通信の推計。また米国防総省週間速報によると、この間の米軍将兵負傷者は３万１６０３人。「非対象の戦争」の典型とされ、２１世紀型紛争である「テロとの戦い」の原点と化したイラク戦争は、こうして開戦８年目に入ることになった。</p>

<p>　オバマ米大統領は０９年２月２７日、ノースカロライナ州ジャクソンビル近郊の海兵隊基地「キャンプ・レジューン」における演説で、イラク戦争終結に向け、１４万人超の駐留米軍のうち、戦闘任務に就いている１０万人前後を１０年８月末までに引き揚げると表明。主に非戦闘任務に従事する３万５０００人―５万人規模の部隊は残すが、１１年末までに全面撤退させる。</p>

<p>　ブッシュ前政権が始め、冒頭述べたように４３００人超の米軍将兵と膨大なイラク人死者を出したイラク戦争の終結に向けた取り組みが本格化したわけで、メディアに登場するイラク戦争関連のニュースが極端に減ったのも無理はない。米国は、イスラム原理主義勢力タリバンが復活し、国際テロ組織アルカイダ幹部が国境地帯に潜伏するとされるアフガンに軍事作戦の軸足を移すことになる。</p>

<p>　この点に関し、オバマ大統領は１２月２日午前（日本時間）、ウエストポイントの陸軍士官学校で「アフガン駐留米軍を３万以上増派する」と正式発表。増派の規模が３万以上に上ることは、ホワイトハウス当局者がこれまでにリークしていたが、同大統領自らの口から公にされたのは初めて。アフガン駐留米軍の規模は現在６万８０００人。したがって、１.５倍もの大増派である。撤退開始時期は１１年７月。これでアフガン駐留米軍は約１０万人という態勢になる。</p>

<p>　他方、アフガン駐留米軍のマクリスタル司令官は１２月１２日までに、オバマ大統領の３万人増派、１１年７月の撤収開始という設定に触れ、「これ以上の追加派兵はもうないということだ」との認識を表明。ＣＮＮとの会見で述べたものだが、撤退開始の時期発表は、アフガン軍が自国の治安維持で主導権を握るための努力を一層傾注することを促したものとも語った。 </p>

<p>　実現可能かどうかはともかく、オバマ大統領のこのアフガン新戦略を受けた米軍、および約７０００人の増派を発表した北大西洋条約機構（ＮＡＴＯ）主導の国際治安支援部隊（ＩＳＡＦ）は今後、撤収を早めるためにも、アフガン軍、警察の訓練、育成を強化する方針。</p>

<p>　これで、０１年９月１１日の米同時多発テロに端を発した「テロとの戦い」は、ともかくも１１年いっぱいで米戦闘部隊がイラク、アフガンのいずれからも撤退するという道筋が立ったわけだ。この間の１０年をどう評価すべきか、歴史はまだ評価を下していない。</p>]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2009/12/post-614.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">Iraq</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">United States</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 28 Dec 2009 00:24:35 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>越年２話。。。普天間とSTART１後継条約</title>
            <description><![CDATA[<P>　普天間問題がついに越年、鳩山由紀夫首相は１８日夜（日本時間１９日未明）、国連気候変動枠組み条約第１５回締約国会議（ＣＯＰ１５）出席のため訪れていたコペンハーゲンで記者団に対し、米軍普天間飛行場（沖縄県宜野湾（ぎのわん）市）移設問題について、クリントン米国務長官に結論を先送りしたことを伝達、理解を求めたことを公表。</p>

<p>　鳩山首相は、「沖縄県民の期待が高まっている。日米合意は重いが、強行すると結果はどうなるか。大変危険だ。選択を考えているので、しばらく待っていてほしい」と要請した。これに対しクリントン氏は「よく分かった」と応じたという。首相はこれより先、デンマーク女王のマルグレーテ２世主催晩餐会で隣席となり、１時間半言葉を交わしたとされる。２００６年の日米合意に基づく名護市への移設計画の早期履行は困難ということで越年。</p>

<p>　クリントン長官の「よく分かった」という言葉は、話はうけたまわったという類の相づちに等しい。鳩山首相はＣＯＰ１５に合わせてオバマ米大統領との首脳会談を提案したが、訪日したばかりということで米側が拒否、首相と同大統領はＣＯＰ１５会議で同席したが、普天間問題の議論はなくあいさつを交わした程度。日米関係は、文字通り凍えて年を越すといえる。</p>

<p>　他方、宜野湾市議会（伊波廣助議長）は１８日午前、本会議を開き、米軍普天間飛行場の早期危険除去と返還を求める決議・意見書をあらためて全会一致で可決。決議は、普天間飛行場移設の原点は「宜野湾市民９万人の安全を守るための危険性除去」と指摘。「恐怖と基地被害を市民に強要することは絶対に許されるべきではない」と強調、普天間飛行場の運用停止と早期返還を強く要求。</p>

<p>　すったもんだしている鳩山政権の議論について「移設先だけに終始し、市民の安全を守る危険性除去の原点が忘れられている」と批判、「議論は袋小路に入っている。現状維持のままという最悪の事態は決して許すことができない」などとしている。あて先は、意見書が首相、外相、防衛相、沖縄担当相。同じ内容の決議は駐日米国大使、在沖米国総領事へそれぞれ郵送。</p>

<p>　この他、５日に失効した第１次戦略兵器削減条約（ＳＴＡＲＴ１）の後継条約について、オバマ大統領とメドベージェフ・ロシア大統領は１８日、コペンハーゲンで首脳会談を行い、「いくつか細かい技術的問題が残っている」（メドベージェフ大統領）として、交渉が最終合意に達していないことを公表。ロシアのプリホチコ大統領補佐官（外交担当）は、ジュネーブで行われていた交渉をクリスマス休暇などのため１月まで「一時中断する」と述べ、調印が年明けに持ち越されることを確認。</p>

<p>　コペンハーゲンからの報道によると、会見で両首脳は「大きな前進があり、合意はきわめて近い」（オバマ大統領）「われわれの立場は極めて近く、この数カ月議論してきたすべての問題は事実上解決された」（メドベージェフ大統領）などと述べ、最終合意が近いことを強調した。が、これまでに達した合意や残された問題の具体的な内容には言及しなかった。技術的問題で以前双方が歩み寄りを必要としているようだ。具体的な相違点は公表されていないが、検証問題や米ミサイル防衛（ＭＤ）の取り扱いだとされる。</p>

<p>　同じ越年でも、普天間とは雲泥の差がありそうな気配だ。</p>
]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2009/12/start-1.php</link>
            <guid>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2009/12/start-1.php</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">DomesticIssue</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 26 Dec 2009 15:24:41 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>きしむ日米関係、指導力のなさがさらに拍車</title>
            <description><![CDATA[<P>　 膨大なご祝儀報道とともに登場したオバマ米民主党政権と鳩山由紀夫民主党政権。共にこのところ旗色が悪い。オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説は、「希代の名演説」だそうだが、ただそれだけ。演説で政治はできまい。鳩山首相はといいうと、就任当初の持ち上げ報道とは裏腹に、右へ左へと迷走を続け、腰の定まらないことおびただしい。で、戦後の日本外交を規定した日米同盟関係が、危機的状況に陥っている。</p>

<p>　なぜか。言わずと知れた米軍普天間飛行場の移設問題が決着をみていない点にある。普天間飛行場（Marine Corps Air Station Futenma）は、沖縄県宜野湾市に立地する米海兵隊の飛行場。通称は普天間基地（MCAS FUTENMA）で、地元宜野湾市民は単に「基地」と呼ぶ。２７００メートルの滑走路を持ち、嘉手納基地と並んで沖縄における米軍の拠点となっている。</p>

<P>　日米合意に基づくキャンプ・シュワブ（沖縄県辺野古）沿岸部への移転について検討が続き、米側はは早期履行を求めているが、県内移設に関しては、沖縄県民を中心に反対論が根強くいまだ決着が付いていない。鳩山首相は米国、沖縄、連立のいずれも大事というのが持論で、移設先を明示しないで結論を先送りしたいというのが本音。解決への道筋をあいまいにし続けていることが米国、沖縄、連立与党との間に不信感を生み、さらに解決を難するという悪循環だ。</p>

<p>　ついには、ホワイトハウスのギブズ報道官が９日、普天間飛行場移設問題に関し日本側が実現を模索しているデンマーク・コペンハーゲンでの日米首脳会談について、応じないと拒否の姿勢を明確化するまでになった。同報道官は「(首脳会談は)数週間前に行った。協議は、駐日大使らが進展に向け、適切に行っている」と述べるにとどまり、不快感を滲ませたそうな。「歴史的な訪問」と称されたオバマ大統領の訪日が終わったばかりなのだから、何をいまさらということだろう。</p>

<p>　日本政府は、１８日にコペンハーゲンで開かれる気候変動に関する首脳会議にあわせて、鳩山首相が、普天間基地問題に関する日本政府の考え方をオバマ大統領に直接伝えたいとしていた。</p>

<p>　加えて、米国務省高官は、日本の防衛省が新たに普天間移設そのものを見送る案を検討するなど、鳩山政権のこの問題に関する決断が遅れていることについて、「検証が長引けば、基地移転に影響が出るだろう」と、米政府内にいら立ちの声が高まりつつあることを示唆した。 </p>

<p>　それでなくても、先に行われたニュージャージー、バージニア両州の州知事選では、共和党が勝利し、オバマ大統領の経済政策が米有権者の間で極めて不評であることを印象付けている。へたに日本に譲歩すれば、足下が危うくなるというのが米側の本音。「鳩山政権は、来夏の参院選までもつのか」という不信感もそこにはある。</p>
]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2009/12/post-613.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">DomesticIssue</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">United States</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 19 Dec 2009 15:52:51 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>START１が失効、急がれる後継核軍縮条約</title>
            <description><![CDATA[<p>　米国とロシアの戦略核兵器削減を定めた第１次戦略兵器削減条約（ＳＴＡＲＴ１）が５日、期限切れを迎えて失効。オバマ米大統領とメドベージェフ・ロシア大統領は、期限内に後継核軍縮条約に調印はできなかったが、４日、後継核軍縮条約の早期妥結で合意しており、１８日にコペンハーゲンで開かれる国連気候変動枠組み条約第１５回締約国会議（ＣＯＰ１５）首脳会議出席に合わせて最終合意文書に署名したい考え。</p>

<p>　この点に関し、ジョーンズ米大統領補佐官（国家安全保障担当）は４日の記者会見で、今年1月のオバマ政権発足後、米ロ首脳間の信頼関係が構築された意義を強調。両首脳がコペンハーゲンで会談し、後継核軍縮条約に関する詰めの協議を行う見込みであることを明らかにした。</p>

<p>　ＳＴＡＲＴ１は、１９９１年に米国と旧ソ連邦との間で調印。戦略兵器削減交渉（ＳＴＡＲＴ）の一環として締結された。両国は他にも、中距離核戦力全廃条約（ＩＮＦ全廃条約、８７年締結）に調印。ソ連邦の崩壊に伴い、条約の継承国は米国とロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ウクライナとなる。条約の批准は、ソ連邦の崩壊により９４年まで遅延した。旧ソ連の核弾頭については、ベラルーシなどからロシアに移送され、ロシアが解体を行った。２００１年までに米ロ両国は、弾頭数の削減が終了したことを宣言。</p>

<p>　その骨子は、１）米ソは保有する戦略核弾頭数の上限を６０００発、大陸間弾道ミサイル（ＩＣＢＭ）、潜水艦発射弾道ミサイル（ＳＬＢＭ）や爆撃機など戦略核の運搬手段の総計を１６００機に削減、２）弾道ミサイルへ装着した核弾頭数も４９００発に制限、３）条約履行の確認のために査察・監視―などというもの。これらは、条約発効後７年で達成されるとしていた。</p>

<p>　ＳＴＡＲＴ１の失効を前に４日、モスクワの東方約１０００キロのボトキンスクにあるミサイル工場では米国の監視団が撤収を開始。この工場は、ロシアが米国のミサイル防衛（ＭＤ）システムに対する切り札とみている移動型ＩＣＢＭ「トーポリＭ」やＳＬＢＭの「ブラワ」を製造。米国は９８年以降、２０人から３０人の体制で常時監視していたが、ロシアはこうした検証措置に強く反発している経緯がある。</p>

<p>　要するに、検証作業をどうするかで米ロ間で大きな食い違いがあり、この溝をいかに埋めるかがカギ。このほか、ＳＴＡＲＴ２が米ロ間で９３年に調印されたが、米議会は９６年に批准したもののロシア議会は批准拒否。ＳＴＡＲＴ２は結局履行されていない。ＳＴＡＲＴ２の内容は、１）２００３年までに両国の核弾頭数を３０００―３５００発以下に削減、２）ＩＣＢＭの多弾頭独立目標再突入ミサイル（ＭＩＲＶ）化禁止―など。</p>

<p>　９９年にはＳＴＡＲＴ３なるものも始まったが、ＳＴＡＲＴ２自体が履行されていないため全く進展せず現在に至っている。</p>]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2009/12/start.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">International</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 12 Dec 2009 16:03:45 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>奢れる者は久しからず、ドバイの夢が崩壊の瀬戸際に</title>
            <description><![CDATA[<p>　ドバイ初金融不安の文字が新聞紙面を賑わしている。事の発端は、４年にわたり土地ブームに浮かれていたドバイ首長国（ドバイ）が１０月２８日、同国初のイスラム債を起債し、１９億３０００万ドル（約１７５２億円）を調達したこと。ドバイの配布した資料によると、同国はドル建ての５年物固定金利イスラム債１２億５０００万ドル（利回りは６．９％）のほか、自国通貨建て変動金利イスラム債２５億ディルハム（約６億８０００万ドル）を起債。利回りは５．６５％。６３億ドルを超える需要があったという。</p>

<p>　ドバイ、要するにドバイ首長国は、アラブ首長国連邦（ＵＡＥ）を構成する７首長国の１つで、ペルシャ湾（アラビア湾）に面し、カタール、オマーン、サウジに隣接する箱庭のような国だ。近年は観光客を呼び寄せるためのリゾート施設の開発でつとに有名。世界一高いホテルであるブルジュ・アル・アラブの建設や、「パーム・アイランド」と呼ばれる人工島群建設などで世界中から資金を吸い上げてきた。景気の良いときは、カネに困ることはなかった。が、いったん悪くなると資金回収に乗り出すのが世の常。</p>

<p>　現地からの報道では、ドバイはイスラム債を発行する一方で、１１月２５日、同じＵＡＥを構成するアブダビ首長国の２銀行から５０億ドルの資金を調達したと発表し、そのわずか２時間後には、政府系持ち株会社ドバイ・ワールドと関連不動産開発会社ナキールの債務支払いを半年間猶予するよう債権者に求める方針を表明。債務総額は誰も分からず、英紙フィナンシャル・タイムズはドバイ・ワールドの債務は２２０億ドル、英ＢＢＣ放送はドバイ・ワールドとナキールで計５９０億ドルと伝えた。ナキールはこの１２月に３５億ドルの返済を迫られており、資金繰りがつかず、支払い猶予を要請したとされる。</p>

<p>　ドバイの産油量は日量約１０万バレル。国内総生産（ＧＤＰ）の２％相当。しかし、このトラの子の石油が近い将来枯渇するため、ドバイは１９８０年代から石油に頼らず、欧州、アジア、アフリカの金融・貿易センターと観光都市を目指す戦略を掲げて急成長。その結果、全世界から５５００を超す企業が集まり、国際金融センターの一角に食い込むほどの成長を遂げた。が、内実はどんぶり勘定というしかない懐具合の不透明性。いくら借りているのか当の本人にも分からないというのだから。。。</p>

<p>　石油収入に依存せず、壮大なリゾート開発構想で外資と外国人労働者を集めたドバイへの期待は、金融バブルの崩壊とともに不信へと転じた観がある。このままで推移すると、中東向け投融資が多い欧州系金融機関に飛び火して、その信用不安となるかもしれず、ひいては欧州経済そのものが不安定になる可能性すらある。</p>

<p>　こうして見てくると、相対的にリスクの小さい円が買われるのは当然。現在の円高は、喜べる代物では決してないのである。</p>
]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2009/12/post-612.php</link>
            <guid>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2009/12/post-612.php</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">MiddleEast</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 05 Dec 2009 16:35:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>カブールの凍土に旧ソ連軍が踏み込んだ日。。。</title>
            <description><![CDATA[<p>　１９７９年１２月２４日。旧ソ連軍がアフガンに怒濤のごとく戦車を進めた日だ。遠くデンマークの首都コペンハーゲンでこの報をラジオで聴いたときの衝撃は忘れることはできない。思えばこの年は、世界史の刻む時の音がはっきり聞こえた年だった。年初のイラン・イスラム革命、中越戦争、エジプト・イスラエル平和条約調印。そしてこのソ連軍アフガン侵攻だ。今からちょうど３０年前、世界はいまだ冷戦下にあった。</p>

<p>　米国は、ニクソン、フォードと続いたベトナム組が倒れ、民主党のカーター大統領がホワイトハウスの主人。が、７５年のサイゴン陥落とともに終止符を打った不毛なベトナム戦争の傷跡いまだ消えず。さらに中東の自他共に認めた米国の盟友、パーレビ・イラン王制も瓦解。手が付けられない有様だ。この間隙を突いたかのように、「ソ連は危険にさらされている同盟国を救援する権利を有する」という「ブレジネフ・ドクトリン」が発動された。</p>

<p>  では、当のアフガンはどうかというと、今と変わらぬ破綻国家。いや国家とな名ばかりの部族社会だった。７３年に王制が倒れて容共主義のアフガン人民民主党が政権を握ったが、ダウド、タラキ、アミンとトップがクーデターで入れ替わっても、自力でイラン革命の余波で勢力を伸ばしていた宗教勢力を鎮圧することができず、結局ソ連軍の介入を要請したアミンを処刑し、東欧に亡命していたカルマルをトップに据えた。</p>

<p>　あとは万巻の書物が語る通りである。ブレジネフが、介入に踏み切った背景には、建前としてのブレジネフ・ドクトリンのほか、ソ連邦中央アジア諸国に、イランのようなイスラム革命が波及するのを恐れたからだとも言われる。ともかく、８９年のソ連軍完全撤退までの１０年間、ベトナムの泥沼に足をとられていた米国を嗤っていたソ連が、アフガンの凍土に足を滑らせるばかり。そして完全撤退から３年後、今度はソ連邦自体が崩壊する。アフガン侵攻の戦費増大がその一因であることは明白だ。</p>

<p>　他方の米国はというと、アフガンのイスラム武装勢力にスティンガー携帯ミサイルを供与したことからも分かる通り、イスラム勢力は反ソの先兵。中東アラブ諸国はこぞって志願兵を募り、アフガンに送り込んだ。のちに、アラブ・アフガニーとして知られるようになるこの種の手合いは、アラブ圏においては国内の反政府勢力の中核となり、一部は国際テロ組織アルカイダに流れて、ビンラディンのように成り果てる。</p>

<p>　ソ連に激しく敵対し、ビンラディンらイスラム過激派に対しても警鐘を鳴らし続けてきたアフガンのマスード司令官が２００１年９月９日暗殺。２日後の９月１１日、米同時多発テロ発生。。。</p>]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2009/11/post-611.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">Afghanistan</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 28 Nov 2009 15:21:42 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>オバマ米大統領は訪日したが。。。</title>
            <description><![CDATA[<p>　オバマ米大統領が１３日夜初訪日。１９７４年（昭和４９年）のフォード大統領訪日以来、カーター、レーガン、父親ブッシュ、クリントン、息子ブッシュと続いた歴代の米大統領公式日本訪問も、もはや恒例行事と化した。１９６０年に戦後初訪日する予定だったアイゼンハワー大統領は、事前調査のため訪れたハガチー大統領報道官が、６０年安保に絡んで反米デモ隊に乗っていた車を包囲され、結局米海兵隊のヘリコプターで脱出するという事件を受けて訪日を中止してしまった時代からみると、まさに隔世の感。</p>

<p>　オバマ大統領は翌１４日、都内で行った演説で、「（北朝鮮と）近隣諸国との国交正常化は、日本の拉致被害者の家族が全面的な説明を受けて、初めて可能になる」と拉致家族問題について初めて公式に言及、拉致問題の解決に奔走する日本側に配慮。これは大きな前進だ。まあ、他はたった一泊の滞日日程しかなかったのだから、首脳同士の信頼構築という決まり切った行事を何とか乗り切ったという感じしかしない。「密度の濃い議論ができた。バラクとユキオという呼び方も定着してきた」のだそうな。</p>

<p>　確かに、オバマ大統領はアジア歴訪の最初の訪問国に日本を選んだ。が、日本はたったの１泊だ。１５日からの訪中では、３泊滞在。滞在時間が必ずしも密度の濃い薄いの尺度となるわけではないが、釈然としないのも事実だ。オバマ大統領の「大仏より抹茶アイス」という幼少時の訪日体験話に、大きな紙面を割いている場合ではないのである。鳩山民主党政権という「未確認飛行物体」に直接相手の地で会って、値踏みしてやろうという米側の思惑が、あちこちに見え隠れしている。</p>

<p>　政権交代は民主主義にとっての必然である。日本も米国も、事情は同じである。オバマ大統領にとっては、日本の民主党そのものに不安がある訳ではない。自公政権下でも、３人連続で首相が１年で職を投げ出し、普天間基地などの問題を前進させることができなかった。米軍普天間飛行場（沖縄県宜野湾（ぎのわん）市）移設問題で結論を先送りする一方、軍事面での日米協力強化につながる、「核の傘」による「拡大抑止」などの協議を開始するのだそうな。日米同盟の在り方をめぐり米側が期待するメニューを小出しした感じ。</p>

<p>　オバマ政権は内政では医療保険改革等で保守層から批判を浴び、また安全保障ではアフガンでの対テロ戦争の成果がおもわしくなく、その支持率は４割を切ったとされる。では、その対処策はというと、かんばしいものが何もない。空疎な念仏が唱えられるばかりである。だからこそ、鳩山政権に対する値踏みが必要だったのだろう。有り体に言えば、米国も日本も、現政権が長続きするという保証は、今のところ何もないのである。嗚呼というため息が漏れるばかりである。</p>]]></description>
            <link>http://blog.ishikawa-news.com/ishikawa_mt/archives/2009/11/post-610.php</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">DomesticIssue</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">United States</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 21 Nov 2009 17:19:59 +0900</pubDate>
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            <title>すったもんだの末にようやくカルザイ再選―アフガン大統領選</title>
            <description><![CDATA[<p>　オバマ米政権が対テロ戦争の軸足をイラクから移すと公言しているアフガン。アフガン中央政府の民生向上・治安回復策が奏功するかどうかが焦眉の課題となっているが果たしてどうか。そのアフガンでカルザイ大統領が再選された。同国選管が２日、この１１月７日に予定されていた大統領選決選投票中止を発表、カルザイ大統領の再選が決まった。</p>

<p>　８月２０日に投票の行われたアフガン大統領選で同国選管は９月１６日、カルザイ現大統領が５４．６％を得票し、決選投票を待たずに当選が決まる過半数を制したと公表。選管によると、有効投票５６６万２７５８票のうち、カルザイ氏は３０９万３２５６票（得票率５４．６％）、２位のアブドラ前外相は１５７万１５８１票（同２７．８％）、３位のバシャルドスト元計画相は５２万６２７票（同９．２％）。</p>

<p>　これに対し、有力対立候補だったアブドラ前外相は、投票で大幅な不正が行われたと抗議、選管も一部これを認めて決選投票を準備中だった。が、アブドラ氏は１日になって、公正な投票を求める自身の要求を満たしていないとしてアフガン中央政府を非難し、決選投票に参加しない意向を表明。結局、決選投票を実施しても候補者がカルザイ氏１人だけで、実施した場合の費用や治安上のリスクに見合わないということから中止に至った。</p>

<p>　要するに、灰色どころか限りなく黒に近い不正が行われたことは事実だが、カルザイ、アブドラ両氏とも、何とかメンツを保って矛を収め、これ以上混乱を長引かせて反政府勢力タリバン側を勢い付かせてはならないという思惑が、双方に働いたということだろう。オバマ大統領は早速カルザイ氏に再選の祝意を伝えたが、その中で改めて汚職撲滅の釘を刺さざるを得なかった。</p>

<p>　首都カブールでは１０月２８日、国連のゲストハウスにタリバンの武装分子が侵入、政府軍との間で銃撃戦となり、６人の国連職員が死亡、さらには、大統領宮殿付近のセレナホテルに向けて複数のロケット弾が発射され、宿泊客１００人以上が地下に緊急避難する事件も勃発。タリバン側は、もし決選投票が行われれば、必ずこれを妨害すると脅迫していた。</p>

<p>　さらに、カルザイ、アブドラ両候補の一騎打ちはさらなる政治的混乱を起こし、国内を一層不安定化させる可能性があるとの懸念もあった。最大民族パシュトゥン人であるカルザイ氏の優勢は揺るがないとみられるが、第２民族タジク人のアブドラ氏に「３位のハザラ人が支援に回る」（アブドラ陣営）との見方すらあった。</p>

<p>　まあ、すべてをうやむやにしてのアブドラ氏決戦投票ボイコット、決選投票中止、そしてカルザイ氏再選といえる。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">Afghanistan</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 14 Nov 2009 16:12:39 +0900</pubDate>
        </item>
        
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